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城壁の中、政府はあった
シエナのチェントロ・ストリコ−−旧市街は、3つの丘の上に造られた街。21世紀を迎えた今日も、周囲は中世の城壁にぐるりと囲まれています。
昔も今も街の中心はカンポ広場 Piazza del Campo (ピアッツァ・デル・カンポ)。貝殻型をしたその広場は、「世界一美しい広場」といわれています。
その正面に建っているのがプッブリコ宮殿 Palazzo Pubblico (パラッツォ・プッブリコ)。13世紀末から14世紀に、シエナ政府の中央庁舎として建てられたものです。そう、ここは16世紀中頃まで誇り高き独立国 シエナ共和国だったのです。政府といっても、プッブリコ宮殿の中は興味深い壁画で彩られています。たとえば"良い政治の結果と悪い政治の結果"(A.ロレンツェッティ作)。良い政治で国民が楽しく暮らしている図がフレスコで部屋の壁いっぱいに描かれています。しかしもう一方の壁を見れば、悪魔の政治に支配されて苦しむ人々が! 
その昔シエナの権力者たちは、この寓意図を観ながら正しい政治とは何かを考えていたのです。  

"室町時代の銀行"が今も残る

中世のシエナ共和国は、ローマへの巡礼ルートであり、南北ヨーロッパを結ぶ重要な通商路でした。人の往来が増すと商取引や両替も盛んになります。次第にシエナは銀行業で栄えるようになりました。
今日もシエナに残るモンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行 Monte dei Paschi di Siena
その前身は1472年の創立。コロンブスのアメリカ大陸発見より前、日本でいえば室町幕府の時代から延々と続いている銀行なのです。

中世の病院  
ヨーロッパの巡礼者たちは、ローマを前にシエナで治療をするのが常でした。なぜなら巡礼は徒歩。療養なしにすべての旅程を到底こなせなかったのです。  
大聖堂前に残るサンタ・マリア・デッラ・スカラ病院美術館 Santa Maria della Scala は、もともとそうした巡礼者のための病院でした。
今日でも大部屋の壁面には、その昔の病院活動を表した当時のフレスコが連なります。見上げれば、いにしえの巡礼者の気分に包まれます。

完成しなかった大聖堂  
シエナの丘にひときわ目立つ縞模様の建造物、それが大聖堂 Duomo (ドゥオモ)です。13世紀終盤から始められた1期工事が終わると、人々はイタリア屈指の規模の聖堂建設に着手しました。しかし1348年のペストで住民の2/3が死んでしまったことから、その計画は未完に終わってしまいます。  
今日も空に向かって唐突にそびえる幻の2期ファサードは、栄光のシエナ共和国の繁栄と挫折を無言に、そしてドラマティックに物語っているのです。

ルネッサンスのプレリュードとして  
アートにおいて、シエナはルネッサンスへのイントロダクション(導入役)を果たしました。シエナ派画家の宗教画は、東方美術の影響といわれる、蒼白なほっそりした顔面と金箔使いが特徴。
ドゥッチョ・ディ・ブォンインセーニャを代表とするシエナ派画家の作品を鑑賞する誰もが、まるで荘厳な音楽を聴いているような感覚に包まれます。


すべてが今も生きている
それらはシエナにおいて過去のモニュメント? それはノーです。共和国庁舎は今日も市役所として、モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行は数百年来の本店サリンベーニ宮を、今日もなお使っているのです。サンタ・マリア・デッラ・スカラ病院は美術館となりましたが、何と90年代末まで病院として機能していました。もちろん大聖堂や聖カテリーナの家に造られた教会では今日もパイプオルガンの音色とともにミサが守られています。

すべての時代が、そこにある
郊外でも、今も呼吸している歴史があちこちにあります。
たとえばピエンツァは、町自体がローマ教皇ピオ2世が考えたルネッサンスの計画都市です。どこかフィレンツェ風の館が並ぶ町並みに、昔の教皇の大いなる夢を感じてください。
いっぽうシエナ南部モンテ・オリヴィエート Monte Oliveto Maggiore では、ソドマのフレスコ画が連なる僧院で、今も敬虔な修道士たちが祈りを捧げています。また、モンタルチーノ近郊サンタンティモ Sant'Antimo の僧院では、今日でも日曜日にグレゴリオ聖歌のミサが。
さらに、同じ南部のムルロ Murlo の地に住む人々は、"紀元前エトルリア人の子孫"といわれており、それは何と学術的に証明されています。
エトルリア人たちの生活は、キウージのエトルリア国際博物館でそのすべてを知ることができます。
また、シエナ県各地の大小さまざまなミュージアムでも、シエナの大地の壮大な歴史に思いを馳せることができます。
(各ミュージアムについては、シエナ博物館機構 www.provincia.siena.it/musei 参照。または APTオフィス へお問い合わせ下さい。)


-- そう、シエナの大地では、大いなるイタリア史が今日もライブで動いているのです。

ミニ知識
- OPAって何?
シエナの街を歩いていると、白と黒の盾型シンボルが掛かっているのをよく見かけます。
これはバルツァナといわれるシエナ市の紋章。また時折OPAと書いてあることも。こちらは Opera Pontificia Assistenza の略で、教会関連の機関を指します。

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